平成29年12月25日10時42分

愛する家族が1人、深い眠りにつきました。

熊田みさを(旧姓:高崎)、97歳。

僕との関係は曾祖母であったが、本当の母のような存在だった。

約13年前に親父の会社が倒産し、湊町に引っ越した後、生活面、精神面で自分を支え続けてくれた大切な人。幼少期の記憶は素直で、好き嫌いがはっきりしていると、思う。小学生の時は、母親は、仕事が忙しいのか外にいることが多く、祖父と祖母も実家の商売で忙しく、僕のようなガキに対して「育てる」ことをしてくれたのは、曾祖母だけ。

幼少期なんて、経済面でどれだけ支えてもらっていても、それを感じることなんてない。それは社会に出てからやと、思う。幼少期に自分という人間が、将来、海野将志として社会で生きていく時の、人への接し方や、見た目も含め、性格、第一印象、僕という人間の心と体を作ってくれた人が、ばあちゃんだった。

つまりばあちゃんが、海野将志の人格形成の親であるということを、改めて今感じている。

昔、学校では、人に悪さばかりして放課後はサッカーに打ち込み、家に帰るとシワシワのばあちゃんがいて、この人には優しく接しないといけないと、いう自覚があった。その頃は地位とか立場とかそういうことはどうでも良くて、ただ自分より弱い人は優しくし、守らなければいけないという意識はあった。でも、悪さばかりしてた。自分を見て欲しくて。

家に帰ると、「ごはん食べたか?!」っていつも聞いてきて、食べた!って言っとるがんに、すり足で台所と茶の間を行き来し、自分が作ったご飯を運び、与えてくれた。だいたい、近くの魚屋で買った魚の煮付けか、焼き魚に、味噌汁とごはん、という組み合わせがほとんどで、友達の家のごはんは、両親が作るハイカラな感じで羨ましかった。

中学、高校とさらにサッカーに打ち込み、夜も遅く、帰るとばあちゃんに会えない日もあった。思春期になると、過保護なばあちゃんが、ウザったくなった。会うとうるさいから、それを避ける日もあった。

桜美林大学に進学し、上京した。アメリカへ留学した。帰国した。実家に帰った時の、心から安らいだ気持ちを今でも忘れない。今ならなぜそんな気持ちが生まれたのか分かる。

それは、帰る家が、あったから。この家というのは物体としてもそう、でも目に見えない気持ちの拠り所としての家が、僕にとって湊町の9区に存在していたから、こんな気持ちが生まれたのだと今では、分かる。ばあちゃんはこれまで、家を結果として守ってきた。戦前、戦後と守ってきた。家の前のコンクリが、砂利道だった時から、守ってきた。

守ろうとしてではない、家族が帰る場所を、大正、昭和、平成と時代を超えて、思いを持って作ってきた。だから結果として玄孫が生まれた時代まで、守られている。

成人式、スーツ姿を誰よりも先にばあちゃんに見せたのを覚えている。東京から帰った時、家に入ってばあちゃんに声かけると、「帰ってきたんか~」と言って、毎回のように泣く。そんなばあちゃんが好きすぎて真っ先にこの20歳という節目の時を、知らせた。それが今から約2年前の話。

今、葬式を終えてやっっっとばあちゃんが家に戻ってきた。やっと、ばあちゃんの愛する夫、満の元に来れた。きっとこんな顔で、満と歌でも歌っとるんじゃないかな~。
「地域に貢献したい」「地元を盛り上げたい」「地元を守りたい」「地元のリーダーになりたい」「家業を継ぎたい」

こんなことばっっっかり、俺は言ってきた。結果としてしか生まれないことばっかり言ってきた。でもそうしたい、そうなりたい気持ちは人一倍強いと実感している。みんな、何かのために家を出る。昔だったら男は戦争に行き、女は家で働く。ちょっと前だったら、男は働きに出て、女は家で働く。今だったら、みーんな働きに外へ出る。働くことは、何かのためにする手段なのに、働くことが目的になって進学したり就活する世の中。俺もそう、熱中できることがサッカーで星稜に勝つことで、それがなくなったから熱中できることを探しに東京とか、アメリカとか、フィンランドに行った。でも、幸せを感じる時は家に帰った時。

25日から28日まで家にいて、ばあちゃんの側にいて、昔、満じいちゃんの趣味だったであろう、昔の湊町の写真を眺めて、自分が見たことのない綺麗な姿のみさをばあちゃんを眺めてると、時空を超えてばあちゃんに恋した気持ちになった。じいちゃんが羨ましい。

ばあちゃんは死ぬ間際まで、日記を書いていた。字はかなり読みづらいけどはっきり何を伝えたいか分かる。

「家に帰りたい」「徳江が家にいてくれるから安心」家への思いの強さを感じる。たまに出る可愛さも忘れられない、自分の部屋に間違っておじちゃんが入ってきたらしく、それを「誰でも失敗はあるよ」と悟るように書いてったりもした。

「何」を、彼女から受け取るか。

ばあちゃんが生きた97年。最後は、3人の孫、4人の曾孫、2人の玄孫に見送られる姿。葬儀後、新聞見て家に駆けつけ、ばあちゃんを参っていく地域の人達の声。

人の幸せは、その人が決めることかもしれないけど、共通することがあるんではないか。帰る家があるということが、どれほど人間にとって大切なことか、彼女の生き様、死に様からその大切な思いを受け取った。

祖父祖母は、もう70代。母親はこれから、外へ外へ出ていこうとしている。姉も、外へ外へ出ている。誰が、このばあちゃんの思いを、伝えていくのか。

俺しか、いない。

熊田家を、俺が守る。別に自分の帰る場所じゃなくていい。他人でもいい。親族じゃなくてもいい。形式にはこだわらない。

それは、みさをばあちゃんが12月25日に眠ったからそう思うのかもしれない。今、実家に満じいちゃんと、みさをばあちゃん、昔飼っていたピースという柴犬の、3人の写真がある。3人は今、何を喋っているんかな。

突き詰めるところは、平和とかいう言葉になるかもしれん。条約とか、協定とか、憲法とか法律とか制度とか、決め事は手段として大事。でもいろんな既存の手段、新規の手段ができていく世の中だからこそ、信念を貫いていくことが大事。

それは結果として良くも悪くも後世に残っていくはず。自分の祖は、間違いなく「熊田みさを」。この女性に愛されたように、今、そしてこれからの家族を愛していく。

みさをばあちゃんいつも、俺の中にいる。

これからも、湊町にいる。

ありがとう。ばあちゃん。

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